50 years ago
と、ある、仕事場ででの邂逅。だいたいEPレコード等存在すら忘れている昨今。飛び込んできたのはBEATLESのEP。欲しいわけではありませんがあまりの出来事にびっくり。レコードは20年前にすべて処分したので、その後のしばらくは少しロスしましたが、今は未練もなく。しかし持ってる人がいるんだね。他にも数枚あったんで一応写真は撮っておきました。(何に使うわけでもなく。)この所有者お亡くなりなって話をすることができませんでしたが、すこしだけボクの時代よりもは早くお生まれになった世代。急に時代が引き戻されたような気がしてしばらく眺めていました。僕の知っている音楽というのは、その歌手の推移と共に推移し、新作が出るたびに求め、旧作との相違、成長を感じ取ったわけですが、いまは、そんな悠長な聞き方、見方などすることなく、例えば、you tubeなどで、どの有名な曲もどの下手な歌手も、すべて同じページに何らかの序列で並んメニュウを見ることからはじまるわけ。50年前の曲も昨日発売の曲もすべておなじ扱いがされる。ぽち、っとやったらすぐ聴ける。演奏者のスキル、録音の技術や画像の技術が違うのに、あれもこれも同じ「いま」で展開されるから、歴史、積み重ねや、音楽の傾向の変化などまったく関係ないわけだ。
何も悪いことではないですよ。そういう時代だから。でも敢えて言うなら「情緒」がない。僕らは少しの情報から背景を探り、想像し、人物像を作ってきたし、少しの音や少しの言葉から、奏法やテクニックや技術を盗んできた。どこに取り入れるかというのが、その「盗み」の結果だ。楽器そのものだって高価なものだった。経験・知識で対応力を養う。力というのはそういうものから継続して生まれてきているんだ。だからなんでも簡単に手にはいってしまう状況というのは、力を生まないとまだまだ信じている。でもね、今を否定しているわけではないですよ。ここは、勘違いなされぬよう。手法のちがい、だけです。敢えて言うなら、ふたたび、「情緒」がない。
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