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2020年3月19日 (木)

悲しい景色

トウモロコシや味噌・野菜を買いに富士吉田方面に向かうことがある。夏に訪れた忍野は悲しい景色だった。八海野近くには某有名企業の施設があり、木立のあいだに見える整然とした風景で、いい環境だなあと、感心した。

何十年かぶりに八海を訪ねると、愕然とした。いきなり、いきなり、人の群れとともに飛び込んで来た景色は、「汚い」「雑多な」祭りの露店のゴミのようなそれだった。日本人ではない人が多く「闊歩」する両側にはジャパニーズ・ファストフード店が並び、わけのわからない=迂所以の不明な=土産物と、食品の羅列が広がっていた。池をとりまくように作られている、後付けの「遊歩道」は自然と客が店内に流れ込むように仕組まれていて、あたまがいいなと、感心させられた。湖底には投げ銭が多く見られ、トレビの泉まで見ることが出来た。此処はどういうところか、と、探るでもなく、ただ、一昔前の、国道のドライブインのような店に囲まれた小さな湖を見学したら、隣町のおおきなショッピングモールに出かけて、商品を紙袋いっぱいにして、大きな声で喜ぶ団体がいるだけの景色。その景色に続く一般家庭の軒先には「入らないでください」の文字。

旅の目的はそれぞれで、得るものもそれぞれでいいけれど、此処はそういう場所ではなく、湖水の成り立ちを理解し、水のありがたさを理解し、富士箱根の景色を堪能し、それらに伴う小さな施設で地場のおいしいものをいただく、生産しているものを購入する、そんな普通のちいさな観光地でいいとボクは思った。かつてこの小さな湖がどのようにつながっているのか?と、潜水探索した方々が、戻らずに悲しい結末を迎えたことを思い出した。

人が来る、観光地になる、人が来る、施設を拡充する、見よう見まねで新規参入する、自宅を改装して受け入れ体制を作る、人が来る、駐車場の整備をする、お金につながることがそこに暮らす人間のプラスになることに異論はないけれど、意味もなく受け入れるだけうけいれて、お互いが「調和」や「マナー」を失っていたのでは、立派な観光地にはなれないだろう。

いま、きっと、ひっそりとしているだろう。休業している施設もあるだろう。中国サーズの次に来た武漢伝染病の影響で各地の緒施設は客数の低下に戸惑っている。バブルが崩壊したのと一緒で、いまある施設を持て余す経過だろう。どこかに落ち着くとしてもいままでのようなバブリイな景色がふたたび見られることはないだろう。地面に足をつけたふつうの生活・商売サイクルに、ひとまわりだけ大きな集客を望む姿勢ならば、また、少し賑やかな日常が来るだろう。騒々しい「OSN48」ではなく、こころ泰かな「忍野八海」を続けていくのは、そこの住人だ。

翻って、「三島大社」。いつも不自然な景色だと思っていたことがある。伊豆一宮と称さる、三嶋大社。鳥居をくぐって、本堂へ続く参道の両側は「さくら」の木が続いて、それを見守るかのような池が両側に配されていて、まことに、さくらの季節にはよい景色がひろが、・・・っているはずなのですが、20200319

ブチ壊しているのは露天商のテント。大社さまと、その土地をお借りするかれらとの間にどんんな約束や絡みがあるか知りませんし、商売そのものに文句はありません。それなりの賑わいを醸しだしてくれるこの露天商の特有のそれ。「下り」お参りが終わったあとに帰る両側~池の東、西に配置すればいいと思うのです。茶店がその機能を果たしていない今。「上り」参拝客は素直に道幅いっぱいをゆったりと進めるというもの。「テキヤ」のオッサン、オニイチャン、「それじゃ、商売にならねぇよ!」と憤慨。じゃ、やめましょ。街中にはちゃんと食べる所もありますから。「さくらの季節」の参道は桜だけでいいと思っています。ちなみに遺伝学研究所の桜、(公開は年に一度ですが)、露天商のテントなどありません。そういう施設じゃないと言われれば、確かにそういう施設ではありませんが。

今年の春、なんだかそこらじゅうが悲しい景色。

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