« 2020年2月 | トップページ | 2020年4月 »

2020年3月

2020年3月27日 (金)

COVID 19 follow

イタリアの惨状は報道の通り。ローマの妻の友人にメールを送ると、まあまあ!明るい返事がきました。北イタリアとローマは離れていますから、それぞれ違うところもあります。彼女は「元気にやってる」と。いろいろな国、住む場所、立場、環境など、国・人、みな違いますが、なんとか、収束してほしい悪夢です。

今までは私信ですので、このようなこと、紹介したことはないのですが、今日は彼女の文面をそのまま引用します。

Ciao Age and Yoshie. We are glad to hear that you are fine, all of you. We are fine too, relaxing all day long, listening good music and eating tasty food. By the end of this lockdown we will be all fat and relaxed! The positive point is that now there is no pollution, the nature is having a rest as well. The air is clear and clean because cars are not running. In these days if we have a look at the city center by webcam on internet we can see ducks bathing in trevi fountain and in some other famous fountains of Rome. In Venice there are even dolphins swimming in the water channels. Thank you for your e-mail, gambarimashou. Nihon ni mo gambatte kudasai.

We send you a picture of Spanish steps taken one week before the lockdown. The country was already alerted so almost nobody was around. The rainbow is a sign of good luck, as you know

Maria-mar-27

数十万人単位の罹患者、多くの死者が出ている今回のCOVID 19 については、いまやすべての人が罹患若しくは罹患予備軍、困惑、困窮、閉塞を訴え、未来の見えない境地にあって、そして明日は我が身、どうすべきを探っているのが現状です。物がなくなるという不安が「買いだめ」をおこしたりするのは当然のことで、「待て、やめて」など言われても、実際、購入願望を消すことは出来ないと。自分も体の片隅にある。声高に叫ぶメディアの方のなかに、買いだめはしていないという人、ゼロじゃないはずです。どうしたらいいのかわかりません。ただ悲観的にはならずに、いつもより、健康的な衣食住生活をすごすことしか、アリマセン。少しでも危ないと思われるものやところに近づかない、くらい。

メディアは報道の度にに全世界での罹患者の増加を伝えます。僕はここに何か書くたびに、状況が良くなっていることを望んでいます。それから、神様はどこかにいるんだろうけれど、今回は神様の登場がないことがわかりました。

2020年3月19日 (木)

悲しい景色

トウモロコシや味噌・野菜を買いに富士吉田方面に向かうことがある。夏に訪れた忍野は悲しい景色だった。八海野近くには某有名企業の施設があり、木立のあいだに見える整然とした風景で、いい環境だなあと、感心した。

何十年かぶりに八海を訪ねると、愕然とした。いきなり、いきなり、人の群れとともに飛び込んで来た景色は、「汚い」「雑多な」祭りの露店のゴミのようなそれだった。日本人ではない人が多く「闊歩」する両側にはジャパニーズ・ファストフード店が並び、わけのわからない=迂所以の不明な=土産物と、食品の羅列が広がっていた。池をとりまくように作られている、後付けの「遊歩道」は自然と客が店内に流れ込むように仕組まれていて、あたまがいいなと、感心させられた。湖底には投げ銭が多く見られ、トレビの泉まで見ることが出来た。此処はどういうところか、と、探るでもなく、ただ、一昔前の、国道のドライブインのような店に囲まれた小さな湖を見学したら、隣町のおおきなショッピングモールに出かけて、商品を紙袋いっぱいにして、大きな声で喜ぶ団体がいるだけの景色。その景色に続く一般家庭の軒先には「入らないでください」の文字。

旅の目的はそれぞれで、得るものもそれぞれでいいけれど、此処はそういう場所ではなく、湖水の成り立ちを理解し、水のありがたさを理解し、富士箱根の景色を堪能し、それらに伴う小さな施設で地場のおいしいものをいただく、生産しているものを購入する、そんな普通のちいさな観光地でいいとボクは思った。かつてこの小さな湖がどのようにつながっているのか?と、潜水探索した方々が、戻らずに悲しい結末を迎えたことを思い出した。

人が来る、観光地になる、人が来る、施設を拡充する、見よう見まねで新規参入する、自宅を改装して受け入れ体制を作る、人が来る、駐車場の整備をする、お金につながることがそこに暮らす人間のプラスになることに異論はないけれど、意味もなく受け入れるだけうけいれて、お互いが「調和」や「マナー」を失っていたのでは、立派な観光地にはなれないだろう。

いま、きっと、ひっそりとしているだろう。休業している施設もあるだろう。中国サーズの次に来た武漢伝染病の影響で各地の緒施設は客数の低下に戸惑っている。バブルが崩壊したのと一緒で、いまある施設を持て余す経過だろう。どこかに落ち着くとしてもいままでのようなバブリイな景色がふたたび見られることはないだろう。地面に足をつけたふつうの生活・商売サイクルに、ひとまわりだけ大きな集客を望む姿勢ならば、また、少し賑やかな日常が来るだろう。騒々しい「OSN48」ではなく、こころ泰かな「忍野八海」を続けていくのは、そこの住人だ。

翻って、「三島大社」。いつも不自然な景色だと思っていたことがある。伊豆一宮と称さる、三嶋大社。鳥居をくぐって、本堂へ続く参道の両側は「さくら」の木が続いて、それを見守るかのような池が両側に配されていて、まことに、さくらの季節にはよい景色がひろが、・・・っているはずなのですが、20200319

ブチ壊しているのは露天商のテント。大社さまと、その土地をお借りするかれらとの間にどんんな約束や絡みがあるか知りませんし、商売そのものに文句はありません。それなりの賑わいを醸しだしてくれるこの露天商の特有のそれ。「下り」お参りが終わったあとに帰る両側~池の東、西に配置すればいいと思うのです。茶店がその機能を果たしていない今。「上り」参拝客は素直に道幅いっぱいをゆったりと進めるというもの。「テキヤ」のオッサン、オニイチャン、「それじゃ、商売にならねぇよ!」と憤慨。じゃ、やめましょ。街中にはちゃんと食べる所もありますから。「さくらの季節」の参道は桜だけでいいと思っています。ちなみに遺伝学研究所の桜、(公開は年に一度ですが)、露天商のテントなどありません。そういう施設じゃないと言われれば、確かにそういう施設ではありませんが。

今年の春、なんだかそこらじゅうが悲しい景色。

2020年3月11日 (水)

ウチのマルちゃん

日本じゅう、あちこちに、そこらじゅうに「マル」ちゃんがいますが、ウチのマルちゃん、いつも抱っこするとスヤスヤモード。

60過ぎのジイサンが猫抱いて「マルちゃん!」て、なんとも言えませんが、可愛いんだな、これがぁ。親バカで。20200310_205713 もうすぐ5歳になります。

毎年

水を遣るくらいで、他はなにもしなくてゴメンナサイ。でも毎年花を咲かせるんだな、これが。若干花の数が減った気がしますが、今年も3鉢咲いてます。

20200309_161722

あちこちで伝染病の影響が出ていてタイヘンな時期です。どう推移してゆくかは誰も知らない。メディアに養生する「専門家」の皆さんの専門じゃないようで。中国から始まったと見られるところまでは、なんとなく一致した意見のようだ。この国は韓国と一緒で謝らない国で、なおかつ、正当だ、正当だ、と唱えれば、いつか正当だということになる理屈を持った国だ。沈静化してきているのは自分たちの勝利だという。サーズのことも忘れて国の素晴らしさを喧伝する。トランプがこの国を知的財産侵略国と言っているけれど、いいこと言うよね。なんでしょ。

球根から出た花が変わらない色をつけて、毎年春をたのしませてくれるのは、自然の恩恵、なせる業。おちおちしてると、この球根作ったのはわが国だと言うんだろうな。さぶっ。

 

2020年3月 5日 (木)

COVID19

「FOMALHAUT」の「BLITZ LIVE」は、諸般の事情を鑑み、中止、延期になりました。

新しい日程は追っておつたえします。・・・いつになるかな?

 

Blitz17-2_20200305130501

 

 

楽しみにしていたお客様への悪しき伝染病伝播の憂慮、もたらされる関係者皆様へのこころとカラダの健康、我々を取巻く日常生活への不安、など、いろいろな負の材料ばかりの中での開催は、善悪ではなく、モラルの問題まで孕んだ是非を問われる社会的趨勢だからです。敢えて開催、催行の方法もありますが「今」やらなくては、というものではないので、中止延期の方策をとりました。