習慣・時刻
「慣れ」というかなんというか、新聞を読む行為は長年してきたことで、小さなころのテレビ欄から始まったそれは、リビングから乗り物の中でも続いている。TVにいたっても同じことで(最近はきまったものしか見ないけれど)、それらは、日常24時間の中で、ある程度時計代わりにもなっている。
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「慣れ」というかなんというか、新聞を読む行為は長年してきたことで、小さなころのテレビ欄から始まったそれは、リビングから乗り物の中でも続いている。TVにいたっても同じことで(最近はきまったものしか見ないけれど)、それらは、日常24時間の中で、ある程度時計代わりにもなっている。
6月22日付静岡新聞1面窓辺から
21日は伊豆の国市アクシスかつらぎ多目的ホール(旧伊豆長岡町)にてオカリナサークル「すばる」さんの第14回コンサートのお手伝いにまいります。入場無料ですのでお近くの方はどうぞ。
大橋鎮子さんの本。花森氏と長きに亘って暮らしの手帖に携わっていた方で。創刊当時から現在までが簡明な言葉で綴られている。言葉の向こうの多くの労苦や姿勢が見えるようだった。消費文明のさなかにあって、良いもの、「今」・「いつか」役に立つものを伝えたいという一貫したスタイルが、部数という現実の数字になって呈されている現況を観れば、この雑誌のスタイルは正当なものだ。
Cafe GRUN 昨日。満員御礼。
セットしたはずの目覚まし時計がウンともスンとも言わないんだ。12:15に鳴るようにしたんだ。 で、理解した。別の目覚ましは00:15でちゃんと鳴る。よくよく見ると12:15のとなりに小さくPMって書いてある。そうか、この12:15は昼間のことで、夜中の12:15にするときはPMなしの12:15なわけだ。 だからこの時計は0時がない。昼も夜も12時だ。一方は12時がなく、0時から23時までだから夜中なら0時台を選択して昼なら12時台を表示するわけだ。そもそも12進法であるなら、12時というのはおかしなわけで12時になると0時にならないといけないような気がする。一方は24進法なので、23時のあとは0時になるっていう寸法だ。なんとなく起きたからいいようなものの、大事なことを目覚まし時計のせいですっとばしたら、いかんわけで。ひとつベンキョになりました。気を付けよっと。