式年遷宮
この言葉がメディアで伝えられるたびに思い出すのは、20年まえ、つまり、前回の式年遷宮。そうか、あれから20年経ったということで。
伊勢のコンサートの翌日、氏子さんの家でパッチに着替える。メンバー・スタッフともども。最初はね、女性が着替えを手伝ってくださる。異性が恥ずかしいのではなく、その装束が、舞台衣装ともかけ離れた「祭礼・儀式」の装束であることが馴染まないワケ。その装束は昼の新嘗祭用の装束であり。パッチを履いて名前のわからないシャツ来て半纏のような。よそよそしいカッコも着替え終わって10分もすると自分を含めてタレント・スタッフがなんとはなしにジモティに近付いたような面持ちになってくるから不思議だ。しっかしこりゃトイレが大変だわぁ。(ジッサイ・たいへんでした。)
神様に捧げる新しい米を積んだ2mもあろうかという木製の大車輪の儀式用のくるまをみんなで綱引きだ。踊りで言えば「連」のような地区ごとの色の紐を結び、太い綱を引き始める。これも最初はなじまないけれど、200mもすると、仲間の意識が生まれて来る。カーブでは車輪が軋み少々焦げたにおいがする。ベアリングなぞございませんから。街じゅうがなんだかタノシイ。見ているひとも同じ顔。汗も噴き出す。こんな儀式があるんだ。初めて知った。で、約2時間の道中もおわり。
それからゴハン・酒。夜に備えて休憩。夜は式年遷宮への参加(というか、お参り、というか、なんというか)。20年ごとのそれ。東京を出かける前に氏名住所職業を登録。場所は忘れましたがどこかの広場に集合ののち、お社に向けてそろそろと。神官が100人以上、いや200人以上かな、いるんだから壮観だ。きっとミナサマ・その世界ではお偉い方々です、きっと。お社は俗に言う灯りはナシ。真っ暗な中ほのかな蝋燭の灯りだけ。儀式は訥々と進むわけで。関係者(と言うのでしょうか)ばかりのこの式に潜り込んだ(?)音楽屋一行は繰り広げられる事態に固唾をのむばかり。玉砂利の伊勢神宮は、そうこうしているうちにお引っ越しとなり、神様の新居が滞りなく出来ました・というストーリー。
ツアーでも例を見ない同所での公演含めての3日間。伝統の儀式への参列。ほんと、皆さんに世話になりました。「おかげ、おかげ」。わたくしヒトリでは100%体験出来ないありがたい行事でした。
あれから20年いまでもプロテクスのトランクにその紫色の紐を結んであります。縁起をかつぐわけではないし、なにかのご利益に与ろうというわけでもなく、きっと今後体験できないであろう思い出の一本の紐なわけであります。他のひとが見れば、変な色のただの紐。