天才は至る分野にも至る場所にもいる。カトウはデビュウというか、なんというか、それをあたかもコミックバンドかのように見せてしまった。実はコミックでもギミックでなんでもなく、あれは、新しいサウンドであり、コラージュであった。
「イムジン河」リリースの替わりに作られたサトウハチロー作詞の「悲しくてやりきれない」は(曲を3時間で作ったという逸話だが、テーマさえきまれば別に天才でなくとも出来る)、レコード会社専属作詞家が当たり前に活躍する前時代のレコード会社の範疇を簡単に破った。問題のこのメロディ、日本一の綺麗な曲だろう。全編のペントニック・スケールに一度だけ出て来る7度の音。これは、あの「蘇州夜曲」と同じ手法だ。完成された曲だ。最初から歌詞と一緒に生まれたような曲だった。(酔っ払い~悲しくて、の路線は、勝手に~エリー、の路線と重複してまうのは何故かな。)
さて、「黒船」ひっさげてロンドンで公演をする。「ロキシーミュージック」はぶっ飛んだ。それは4半世紀経って彼・カトウがロンドンを訪ねた時のタクシーの運転手から聞いたミカバンドの評価で、実証される。タイムマシンにお願いしたのかな。 しかし、この時のプロデューサーが(クリス・トマス)厄介なヤツで。ミカと出来てしまう。
多くの楽曲を提供し、プロデュースを司る。音作りの手法は専属のディレクターやミキサーエンジニアを唸らせる。終いには、セールスに対してもレコード会社の販売側にマジックを披露し、音楽家の立場を訴えたりもした。ギンガムというPA会社を作ったのも、プレイヤー側では、日本で初めてだろう。日本のPAの情けないことを肌で分かっていたから。
外国でレコーディングし、また半年をバケーションで過ごすのがあたりまえのカトウ。のちに結婚するヤスイは、カトウといつも一緒で、各国を回れどミカと暮らしたロンドンには行かなかったとどこかで読んだ。ふう~ん。 この夫婦は、当に、絵に描いた日本のブルジョアだった。紳士淑女だった。いい夫婦だった。今で言うフォークの王様のプロデュースやアレンジ。「家を作るなら」に代表さるCMの楽曲。映画・スーパー歌舞伎の音楽。どれもこれも珠玉だ。
「あの頃、マリー・ローランサン」のLP。どこに行ったかな?「パパ・ヘミングウェイ」を縁のバハマで録音する。ベルリン、パリ。後年ある編集者は目を回す。取材旅行となったヨーロッパへは、出版社の手配したビジネスクラスと4つ星ホテル。それをファーストと5つ星に夫婦自らアップグレードし、ヴィトンの引っ越し宜しく状態の大荷物をスイートに運ぶ。中には銀製の写真立てまであったそうな。東京のリビングルームをそのままパリに持ってきたようだってと。拙などとは、金持ちとかそういうことではなく、人間と経験と人生が違う。
和幸で魅せたギター。パロディのような昔の他人の曲と詩まで魅せて。安易にカバーを頻発する歌手とは格が違う。そしてある日、ヤスイを亡くし(そういえば、なかにしは、ヤスイ亡きあとすぐに中丸と結婚したことに腹を立てていたそうだが)、また、自分も、すうーっと、いなくなる。
天才が逝ってもうすぐ4年になる。