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2013年7月

2013年7月26日 (金)

0818、0831、0901の出没場所

電話番号じゃないよ。

8月18日は(13時くらい)河口湖楽園ガンタさんとご一緒での楽園でのオタノシミ。出演はガンタとフォマルハウトとあとは沢山か少しかわからないけれど飛び入り含めてミュージシャン数名)。お盆も終わり交通事情はわかりませんが、1000mの高地。涼しい風(だと、いいですが)の中でのオカリナとピアノとガンタのなんじゃかんじゃ(本業はドラマーですが、三線、ギター、ウクレレ、パーカッションなどをいろいろと。歌も出ます?)。半分リゾート気分でお楽しみあれ。雨天決行。台風はその時次第。

続いて31日は(時刻未定・夕方)昨年もやりましたが、「リレー・フォー・ライフ」の1日。シンガー・フェイス君がコーナーのホストの役割です。こちらもフォマルハウトで。場所は長泉町の桃沢、あれ?百沢?ま、そういうこと。こちらは1000mありませんが若干標高高く。周りは自然公園ですのでピクニック気分でのご参加お待ち。

続いて、次の日、9月1日(18時)ミスター清水(とはだれも言わないけれど)・赤堀氏主宰のコンサートが清水区興津・龍津寺というところで。フォマルハウトのコンサート・フューチュアリング「えんじろう」。えんじろう君は浜松あたりでご活躍の、ユキちゃんと同じオカリナプレイヤー。何度かご一緒しましたが、こういったコンサートでは、藤枝以来。二つの笛と鍵盤の醸すお味をコワイモノ見たさ気分で。

以上、今夏のインフォルマティオ。

日帰り避暑(ですか)

避暑地軽井沢の仕事が決定しました、プライベートパーティですが。ふっと記憶を辿るとなんということでしょか、15年ぶりくらいになるワケで。新幹線ももちろんない時代。だから列車で横川の釜めしが食べられたんだけれど。ドライブインで食べるそれとは違うものであります。もちろんお茶はビニールみたいなプカプカした容器に入ったアレで。

真冬のスケートセンターに端を発してからプリンスHのショーまで各種あり~のでしたが、とんと、ここは行ってなかった。モールもあるみたいですが、当日は時間ないだろうな。で、気になっていたのは「天空カフェ」。どんなところかな。それからビル・ゲイツ様の建設中の御屋敷。人に言わせればかる~く5千坪か1万坪はあるだろう、と。

で、そんなことはホントはどうでもいいワケで。というのは、おそらく日帰り。片道4時間を予想すると、まあ、スケジュール的にはいっぱいいっぱいだから観光気分も避暑気分もないというのが実情。でもね、「カルイザワ」だかんね。久しぶりの土地はなんか気分のいいもので、すこしふだんとは違うアップなカンジ。あくまでも「カルイザワ」。すぐ近くの「カルイワ」ではないのです。

理想などと言う言葉今の自分にはほど遠いところにあって、いつでも現実が付きまとうのであります。暑い暑いなど言わずにワイキキのビーチにいるとか、軽井沢に1か月居るとか、この季節はニュージーランドだとか、夢のまた夢。いやいや夢にもでて来ない。言ったその場で消えてゆく儚い文字。

では、来月は軽井沢日帰りを敢行いたします。チャンチャン。

2013年7月25日 (木)

安良里

安良里からムラマツは下宿をしていた。安良里はこの間訪ねた松崎の近くで、風光明媚な港町です。村松は今何故か北海道にいるという風の便り。

さて、高校生のボクに安良里の町の理解は乏しい。暇な午後、彼はふいとボクの家を訪ねてきた。チャリ。唯一の交通手段だ。また、高校生が親元を離れて下宿生活をするということにも理解が乏しかった。ボクは彼に新しいLPを披露した。何曲目かわすれてしまったが。♪「パラシューター」♪と、いうところを聴いてかれは、「なに?これぇ?」「へったくそぉ」と。そっかなあと思いつつも、趣味の問題なので、よしとした。もちろんイチオシのその曲も♪「空に駆けてくぅ~」♪っと、聴かせたけれど、反応はイマイチだ。

  ある日、日大のメンバーがピアノを弾く人間を捜していた時、ギターのkはボクを指名してきた。歌うのは女の子A子とA子。提示してきた曲は先のLPの標題曲と「タイムマシンにお願い」だ。

あれからあの曲は何百回弾いたかはわからないが、いつもこころの片隅でキュンとなるような曲だ。このあいだ、音楽葬でこれを突然弾いてくれと言われ、喜んで弾いた。母が大好きだった曲で、と喪主。ヒトの心に残る曲。そういうものを書き続けていきたいと毎日思っている。流行り病のようなあの「元気を届けたい」の言葉とはウラハラに、聴き手が本当に望んでいることが意義のあるものとならば、こちら側は十分だ。何十回だって弾くさ。

新しい映画が始まったようだ。ジブリだ。いつも素敵な夢を与えてくれるこの有能なスタッフが選んだ新しい映画のテーマ曲は、なんということだ、40年も前の名曲「ひこうき雲」じゃないか。いいんだか悪いんだか。無茶苦茶はまってるらしい。そりゃそうだ、誰も異論はないだろう。まず、どのシーンで出てくるのか知らないけれど、ツボだよね。悪いはずはないさ。   ~~~~~~~でもね、そういう問題かな。何故だれかの新曲でやらなかったのかなと、ふと、思うんだ。    ワタシにとっては、センチメンタルシティロマンスの「うちわもめ」。高山厳の「空の果て」。そして荒井の「ひこうき雲」。この3曲は、たとえば、your song, let it be, fire and rain, などと対比する日本の名曲なわけで。胸が百編キュンキュンしても。

2013年7月23日 (火)

asa-kala

朝からずっと座ってCPUと向かい合ってた。ら、無茶苦茶ツカレテ。ドラム椅子とパイプ椅子が長時間の作業に向かないことがよお~くわかりました。

簡単なコードだけ入力してから、ピアノを弾き始めて他の楽器を入れて編集にかかったら。だ。どうも良くない。ピアノだけの方がいい。違う楽器に替えても同じだ。ピアノを差し替えたら今度は、アレンジ自体が変わってしまってどうにもこうにも。

頭の中で鳴っていた~編曲~は、どこへ行ってしまったん?で、イチからやり直し、というところで、雨中断。

洗濯物入れて。なんやらほんにゃら、青果のない小久慈。いや、成果のない努力。水のように、

おっとぉー、また東電の報告ミス。意図的にやってるからミスではなくて隠蔽工作。

おやおや東北は大雨だ。松山実力発揮だな。イシカワ、うかうかしてると、置いていかれちゃうよ。

どうにもこうにも、今日は中断。ごはん食べよ。っと。と。と。

2013年7月10日 (水)

山の上の音楽会

昨日は朝からピアノ弾き。高齢者の方々が対象。大きな声で歌ってくださいました。ソロピアノとはいっても、この日は「伴奏」。皆様に歌っていただくための伴奏。ガッコのセンセとちょっと違うのは、アドリブあり、の、フェイクあり、の、テンポみなサマ合わせあり、の、前奏後奏自由、の、気ままな感じの演奏であります。こちらが間奏を弾こうとすると、自然に歌を止めるような感じ。(に、弾いてるんだけどね。)ちゃんと聴いてくださいます。50分程度の音楽会ですが、催しものは午後すぎまで。演奏が終わったら、「こんなものですけれど、受け取って」と。紙筒の中味は?お酒かな?ん?玉蜀黍かな?そうっと開くと、「カルピス」でした。おやおや久しぶりの飲料の名前。ちいさな頃はこんなものしかなかったなあ、と、しばし回顧。ときどき演奏をさせていただく場所ですが、その時々に必ずきてくださるようです。アリガトゴザイマシタ。

で、新しく決まったことをス・コ・シ。9月1日の清水龍津寺、フォマルハウトとエンジロウの共演になりました。笛吹き2名と鍵盤で、お寺の本堂を埋めちゃいます。

ジツは、これが新しく決まったコト。「川越・ヤオコー美術館」再演でございます。昨年思いもかけず音楽会を開く幸運に恵まれ、なんと今年はクリスマスシーズンに再演させていただくことが決まりました。内容はまだ決めてないんだけれど、うん、と頷くような音楽をしたいと思うのであります。またあの桜の絵の前で演奏ができます。ジツにウレシク。ご報告。

2013年7月 2日 (火)

天才。カッコいいヤツ。

天才は至る分野にも至る場所にもいる。カトウはデビュウというか、なんというか、それをあたかもコミックバンドかのように見せてしまった。実はコミックでもギミックでなんでもなく、あれは、新しいサウンドであり、コラージュであった。

「イムジン河」リリースの替わりに作られたサトウハチロー作詞の「悲しくてやりきれない」は(曲を3時間で作ったという逸話だが、テーマさえきまれば別に天才でなくとも出来る)、レコード会社専属作詞家が当たり前に活躍する前時代のレコード会社の範疇を簡単に破った。問題のこのメロディ、日本一の綺麗な曲だろう。全編のペントニック・スケールに一度だけ出て来る7度の音。これは、あの「蘇州夜曲」と同じ手法だ。完成された曲だ。最初から歌詞と一緒に生まれたような曲だった。(酔っ払い~悲しくて、の路線は、勝手に~エリー、の路線と重複してまうのは何故かな。)

さて、「黒船」ひっさげてロンドンで公演をする。「ロキシーミュージック」はぶっ飛んだ。それは4半世紀経って彼・カトウがロンドンを訪ねた時のタクシーの運転手から聞いたミカバンドの評価で、実証される。タイムマシンにお願いしたのかな。 しかし、この時のプロデューサーが(クリス・トマス)厄介なヤツで。ミカと出来てしまう。 

多くの楽曲を提供し、プロデュースを司る。音作りの手法は専属のディレクターやミキサーエンジニアを唸らせる。終いには、セールスに対してもレコード会社の販売側にマジックを披露し、音楽家の立場を訴えたりもした。ギンガムというPA会社を作ったのも、プレイヤー側では、日本で初めてだろう。日本のPAの情けないことを肌で分かっていたから。

外国でレコーディングし、また半年をバケーションで過ごすのがあたりまえのカトウ。のちに結婚するヤスイは、カトウといつも一緒で、各国を回れどミカと暮らしたロンドンには行かなかったとどこかで読んだ。ふう~ん。  この夫婦は、当に、絵に描いた日本のブルジョアだった。紳士淑女だった。いい夫婦だった。今で言うフォークの王様のプロデュースやアレンジ。「家を作るなら」に代表さるCMの楽曲。映画・スーパー歌舞伎の音楽。どれもこれも珠玉だ。

「あの頃、マリー・ローランサン」のLP。どこに行ったかな?「パパ・ヘミングウェイ」を縁のバハマで録音する。ベルリン、パリ。後年ある編集者は目を回す。取材旅行となったヨーロッパへは、出版社の手配したビジネスクラスと4つ星ホテル。それをファーストと5つ星に夫婦自らアップグレードし、ヴィトンの引っ越し宜しく状態の大荷物をスイートに運ぶ。中には銀製の写真立てまであったそうな。東京のリビングルームをそのままパリに持ってきたようだってと。拙などとは、金持ちとかそういうことではなく、人間と経験と人生が違う。

和幸で魅せたギター。パロディのような昔の他人の曲と詩まで魅せて。安易にカバーを頻発する歌手とは格が違う。そしてある日、ヤスイを亡くし(そういえば、なかにしは、ヤスイ亡きあとすぐに中丸と結婚したことに腹を立てていたそうだが)、また、自分も、すうーっと、いなくなる。

天才が逝ってもうすぐ4年になる。