あらら。
気がついたらずいぶん更新してなかった。特別に忙しいワケでもなく、書く気がないわけでもなく、CPUのスイッチを押す時間がなかっただけであります。趨勢がスマホとやらに移行してタブレットなるものを持ち歩くのが日常。情報は早く欲しいけれど、いままでのスピードで困っていない。量も欲しいけれどありすぎても困る。確かに「今」欲しい情報もあるから、ある現場では「〇○ってなに?」と、周りに訪ねることもある。だいたい新聞を隅から隅まで読むだけで時間がかかるのに、あれもこれもどうやって選択すればいいのかがわからなくてね。ジジイの証しだな、こりゃ。
でも、いらない情報は要らないし、見聞きしたくないものにはハナから手をださない。情報技術のレベルでいえば、10年まえくらいのレベルでいい。ただ、そんなこと言ってるニンゲンはきっと少なく、増してや「メーカー」からしたらそんなのは顧客でもなんでもないのだから、無視される範疇のニンゲンなわけ。ショウバイになりませんから。
たった10年前のNYのタワー崩壊の映像にびっくりしているうちに、津波の恐るべき数量の映像を見て、このテクノロジイは半端じゃないことが実証されたけれど、じゃあ、それに対応した政府や民間の行動の記録があまりに杜撰なところを見せられると、なんにもニッポンはかわってないんだと諭される。いやいや、諭されるまえに自分に届く情報が何らかの選択や操作が行われているのも事実。やっていることとそうでないことを較べたらやっていることの方が多いにきまっているけれど、その中には「不真面目」な組織や人間が組み込まれている。不徳な人間はいつでもいる。
核発電所を輸出しようなどという発想はどこから出て来るんだろう。一端事故が起きれば退去を余儀なくされるような暴力発電所だ。言葉は足りないのを承知で言わせてもらうけれど、ツナミで家を流された人は、仮設だろうが、不便だろうが、「自分」のふるさとに戻り、毎日を暮らすことができるのに、事故後の放射線量の高い地域の人には退去しかなく、ふるさとにはもどれないのだ。ふるさとに頼らなくてもべつに困らないひともいるし、収入にしても生活に問題なければ、どこに住んでも同じだと思うけれど、ボクはふるさとが欲しい。帰るところが欲しい。語る友人や町が欲しい。ムラやクニを興し、妻や子供や隣人を愛するからこそ形成出来た自治体・つまり過去からの社会制度があたりまえだと思うんだ。
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