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2012年7月

2012年7月25日 (水)

shae studium

すこし古いはなし。メリルMの紹介でポール・マカトニイがグラミー賞を受けた話を以前した。あれは20年前のことだ。あれれ、なんということだろう。2008年、その伝説のシェイスタジアが取り壊されることになってのサヨナラコンサート。ビリイ・ジョエルのショウのゲストはトニイ・ベネットだ。もう80超えてる。で、ビリイのアンコールに突然現れたのはポールではないか。43年前のビートルズのコンサートが同所初めてのコンサートで、最後がまた、ポールだ。55000人は晴天の霹靂だったにちがいない。サプライズもサプライズだ。` i saw her stnding there`のあと、最後が`Let it be`だと。おいおい、そりゃないぜ。

そうだ、ロンドンオリムピックの開会式にはポールが歌うなんて言ってるけれど、どんな形で何を披露してくれるやら。

Y嬢はこのあいだの下北沢で最後にLet it Be を歌った。観客でいらしていたオノさんに歌ったんだろうか?ビリイと彼女には、関係はないけれど、最後に聴くこの曲はなににも代えがたいものを持っている。ボクには、マザーメアリイの存在すらはっきりとわからないものなのだけれど、この歌詞を読み、きいていると、音楽が宗教には関係ないことが良く分かる。いや、関係はあるんだけれど、その関係は宗教を越える。世界の歌だ。まそして、まさに昔みんなが持っていた共有という時間を感じずにはいられないのだ。簡潔なイントロ、美しい和声感、模範的な構成。アレンジの秀逸さ。ソロのソロらしさ。単純で深いエンディング。どれをとっても、どこを切ってもボクには名曲中の名曲なのだ。

今夜は女性のフットボールがオリムピック競技の幕開けに行われる。25時なら見ようかな。音楽とスポーツ。いつの時代もオリムピックが世界中のファンを沸かせて、競技者の目標であるような世の中が続くといいなと思う。使い古された言葉だけれど、「平和の祭典」であって欲しい。ミュンヘンのような、場違いの政治混乱者を生まないような世の中が続くといいなと思うよ。

2012年7月24日 (火)

見本

イシカワのインタビュウはいつも誠実で分かりやすく、なんといっても華やかだ。ひとによっては、同じスポーツ選手でも、雲泥の差があったりする。天衣無縫というか、豪放磊落というか、周りに口を挿む余地を与えないような「勝手」なコメントもあれば、相手や立場を気遣い丁寧に受け答えする姿勢の場合もある。専門的なハナシをいきなりする場合もある。

急に髭を剃って衣装が変わり、西海岸から東海岸に移籍するプロ野球選手のそれは、優等生の見本だ。いつも話に無駄がなく、です・ます・句読点まで台本があるかのように喋る。すごい選手だけれど、なんか面白くないな。「ぶっちゃけぇ~」とか、「なんちゃってぇ~」とか、たまには言ってくれないかなと期待するけれど、見本だから、変わらないいつものそれだ。

いきなり暑くなってきた。夏だから当然。おもしろいのは天候だ。仕事場所がすこし山側で標高100m越えたくらいのところなんだけれど、自宅の場所より涼しい。今年はエアコンまだ使ってない。風も幾分湿気が少なく、風量も多い。ここが雨でも彼地は雪のときがある。ここ一カ月のあいだに取材が2本あって、見本の食事を作った。見本は見本だからと思ってるのは確かだけれど、そこにいる当事者以外には、それは見本じゃない。ライブなわけ。これを見て、これはこうだな・ああだな、と、想像するのだから、実際にそれに接したとき、想像以下では困るわけだ。想像同様または以上でなければいけない。音楽もいっしょなんだ。きのうまで演歌のアレンジをしてたけれど、「以下」だと思われては腑に落ちないから、何べんも何べんも録音しなおして音を作っている。見本以上の感想を口に出してほしいからだ。

2012年7月17日 (火)

慶事

昨日は下北沢。シンガーの結婚記念ライブ。当人のMs.Yは、ワタクシと歳はあまり変わらず。初婚でっせぇ。歌って40年。べつに誰とお付き合いしても直接は関係ないのですが、結婚に至るとは思わなかったのであります。一部は通常のライブ(半ば定期的に)。2部が披露宴モドキ。

なんということでしょ、会場の椅子を取っ払ってブフェ。飛び出す・飛び出す・飛び出す演芸会。私はM嬢の伴奏で「As time goes by」、K嬢と、もう一曲「Love letters」。たまにきいたことはあっても弾くのは初見ではあります。その場でいただいた譜面、名曲中の名曲を迷曲のように仕上げてしまいました。いいんだか、悪いんだかわからない感じに仕上がりました。

彼女とは30年のつきあい。最初は某女性歌手のバッキングでご一緒し、それからも某歌手とのツアー・レコーディングなどでご一緒。自身のプロデュース作品にも何度か登場いただきました。結婚するんだぁ。

期間は問わずに、ふたりで暮らしをしてゆくことについて、長い結婚生活を続けて例えば30年経つこともあれば、5年のこともあれば、3日のこともあるなかで、二人の間に諍いが起きたり、離れたりすることがあります。のこりの少ない人生をひとりずつで暮らしてゆく生き方があるかと思えば、のこりのすくない人生を新たにふたりで暮らしてゆこうという正反対の生き方があるわけで、いろいろと感慨深いものがありました。

何年振りかで井の頭線などに乗ることになり、ホームに行く途中に岡本太郎氏の絵画と実際に出遭うという幸運に恵まれてしまいました。「さか屋」さんではいつも岡本氏の作品に接し、また画集に接していますが、実際、この作品を見ることはいままでなかったわけでありました。東京に行っても違う場所や素通りをすることが多く、歩いて「渋谷」を通らなければコイツには出遭わないワケです。ラッキー。

慶びの一日でありましたが、残念なことに列車以外は、「暑い」。も・スコシ・気温が低い方がイナカモンには体にヤサシイようです。街は沢山のヒトが泳いでおります。三島の夏祭りくらいのヒトがフツーにこの一か所に暮らしております。ちょっと・ヒト・多いかなぁ。

2012年7月 7日 (土)

雨の夜にふと思うこと

会話の出来る昔言われた第五世代のCPUの出現が現実に安価で手に入るようになった。メモリは莫大な容量を提供する。右を向いても左を向いても小さな通信機器がものごとの管理を行い、拘わる企業はせっせと新機能を付加する。経済の成り立ちからいえば、喜ばしいことではあるが、権利と利益の狭間で、醜い金銭が右往左往する。情報をいち早く手に入れたり、瞬時に共用することがそれほど大切なことなのだろうか。それで、その情報と言えば訝ることなく受け入れてよいのだろうか。どうでもいいことが闊歩し、矛盾なく順位が現出し、流行りが正論のような風景ばかり見ていると、なんだか白けるような気がする。

物質文明の世の中を確かに享受しているし、いろいろなことが確かに便利で、今こうしてこれを書いているのもそれのおかげだ。でもね、ヒトがヒトを作るのに一年かかるし、野菜ができるのにも何カ月もかかる。さかなを食べようったって、育つには何年もかかる。1km歩くのに15分かかる。ご飯になるには米を蒔いてから収穫して精米して炊かなくちゃいけない。なんにもべんりになってはいないんだ。スピードアップしちゃいないんだ。

だから、音楽には真摯に向き合っていようと思う。創るのはコンピュータでも出来るからその成りたちは問わないけれど、人間が演奏し、それを聴いて下さる人がいるという、まともにアナログな事象が厳然とある。その行為によって聴取者の感情が左右される事実が消失しない限り、音楽は不滅だからだ。時間を越えることも、伸長することもできる。漠然とした数値に出来ない感情、受容が人間の持つ一番のとりえだ。

公衆電話が当に忽然と町から姿を消した。で、今、忘れたような場所にぽつんとある。かつてその公衆電話から相手にものごとを伝えたような気持ち、ひとつずつ伝えられたような気持ちを忘れないように、音楽を大切にしてゆきたいと本当に思う。