頭脳の構造
暫くTV番組が馬鹿番組を放映しなかったので気持ちの良い時間を過ごした。喉元過ぎればナントヤラで、また始まった。あまり見ないながらも基本的にはTV番組は好きだ。けれど、見ていると鬱陶しいことがよく起こる。ドキュメンタリイ調のドラマとか呼ばれるあのテの番組のBGM.音が大きすぎる。会話がききとれないようなものはオカシイ。たまにききとれないような状況というのは、そういう状況が欲しいからで、恒常的音量の大きなピイヒャラはごめんだ。それから、音楽番組のカメラワーク。右から左から押して引いての連続。ジェットコースターみたいなそれ。意味ないドアップ。生演奏しない生演奏風なバンド。ムカシのアメリカ的といえばアメリカ的。いいんだか悪いんだか。 ダカラ、たまに見るこのテの番組を、また見なくなる。クイズ番組の出演者のオバカ三昧。芸のない芸人。 また見なくなる。ぼくの頭脳の構造はこういうのを「ヨシ」としない構造になっている。
今回の天災と不運と人災の一件で、彼我の相次ぐ音楽会の中止・延期。予定されていた方にはご迷惑をおかけします。しばらくしたらゆっくりやりましょ。自然にそのときままで。べつに逃げていくものではありませんから。
停電のおかげで節電の現場に遭うことになりましたが、異常な明るさや不必要な照明がいかに多かったかを感じた方も多いと思います。看板なんか、このくらいでいい。ゆずりあいの常識さえ通用するなら信号だって要らない。 復興を目指す被災地の電力インフラをもしも一朝一夕でやらずに計画的にできるならば、地中化と、公共施設と非なるものとの電源配線の区別を目指したいものです。とはいえ、実際目先の電力が必要ですから、こういうことは二の次になるのは承知の上での提言。
原子力発電のコマーシャルや広告で潤った芸能人のみなさま、少しは考えましたか?昨今のこと。万が一という言葉、想定外という言葉は通用しない。
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