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2011年2月

2011年2月20日 (日)

富士霊園での読書

どうしたことか本日は富士霊園。すんごい久しぶり。隣から富士サーキットの爆音。お墓は静かなところがいいなあと思う反面、こうした場所も賑やかでいいなと思った。(モチロン景色・環境は抜群です)先日の雪がそこかしこに。花見のシーズンに再び訪れたく。完全に観光客と化したわけで。

最相葉月のエセイを読んでいたら、彼が宮古島の書店で見つけた絶版の「ミチコ・タナカ 男たちへの賛歌」(角田房子著)の書評に出遭った。~古びた文庫本は、ページを繰るなりわたしの手の中で絢爛豪華な交響曲を間で始めた。~で始まるこの書評のエセイは、昨今の出版物のデジタル化に伴う「本は、これから」という岩波の本に収められている。ミチコ・タナカと角田が、最相によって数行の中で非常に魅力的に描かれている。この本、読みたくなった。点と点を結ぶ書物。こうして結ばれる。~本は永遠の時を刻む。紙か電子かは門構えの違い。本との邂逅はその人の人生を一変させてしまうかもしれない。その快楽を人はそうやすやすと手放すはずがない~と。

ぼくらの手の中にある、手にできる情報としての「本」はこれからどういう道を辿っていくのだろう。電子の情報で育つ新しい人間は、なにを生みだしていくのだろう。中東の世界がこの情報機器によってドンデン返しだ。どうせ、本の未来など結論などわからないうちに寿命は尽きてしまうが、ボクは手の中であたかも著者が語りかけてくれるような本が好きだ。

2011年2月12日 (土)

天才君を待ってる。

荒天がアナウンスされた午後。クルマは一路天城へ。むかしは甘木と記された彼の地は隧道の完成に依って下田から東海道への往来を容易くした。昨日はその手前、吉奈。修善寺に近付くと霙。修善寺トンネルを抜けると、ミニ雪国の相を呈し、昨年の山中湖への運転を想起させ。・・・た、のも束の間。また霙、雪を繰り返す程度。安堵のうちに仕事。仕事終わりは雨。天候は自分で決められないし、どこへ行くか分からない稼業なのだから、やはりスタッドレスは必需品と諭された夜であり。   と、思えば、今日の昼は三島も雪。ここには積もらないけれど箱根方面は積雪。  明日は熱海。峠越えがあるけれど、ダイジョウブみたい。でも、何度も書いたけれど、そんな心配はない方いいに決まっている。もっと簡単にマルチパーパス(全天候型)のタイヤは出来ないのだろうか?

 一昨夜は、持病と化した「攣る」症状。ありがちな、ふくらはぎではなく弁慶の泣き所。  モーレツな鈍痛。 今夕は大腿部内側。  水分、金属の不足ではなかいかと訝る隣からの声。 十分いろいろなものを摂っているつもり。 いつかはライブの最中にこれが出た。 気付かれないように処理したけれど、なかなか、難しい症状。 困るな。 「生活」をしてゆく上で、なんに関しても、必要なものが多すぎたり少なかったりというのは、各場面に弊害をもたらすものでして。もっと簡単にマルチパーパスの薬は出来ないのだろうか?

2011年2月 3日 (木)

お馬鹿な力士

親方日の丸だからと、既得権益を守ろうとする組織(食うのに困らない椅子に座るヒト)と、少々のことなら道徳違反を冒す構成員(俺たちゃあ一般とはチガウんだぜ)の、認識の浅薄さが、金銭関係と人間関係の不貞について、証拠を伴ったために明るみに出る。うやむやで通してきた組織に未来はない。これでエンドだ。(この未来はとりたてて興味はハナからないけれど)良くない方の政治屋さんや建設業界みたいな構図。馬鹿というか、オハナシにもならない。書いたけど、消そうかな。

2011年2月 1日 (火)

サッカー、フットボール、どっち

外国語の表記表記についてまた。日本じゅうを怒涛の渦に巻き込んだ選手の「ボレーシュート」とはいったいなんぞや?カタカナで表せない・似たような言葉を表記するのは仕方ないとしてもだ。  ヴォリボール、バレッ、ヴァリイがバレーボール、バレー、バレーだ。ヴェバリイヒルズがビバリイヒルズは許せても、この三態はわからない。何を言いたいかというと、もしもボレーシュートが日本語であるならば、あのバレーボールはボレーボールといわなっければいけないでしょ。ヴェがビになるのは、まあまあ似ていても、ヴォとバは明らかに違う。そもそもボレーはヴォリだけれど。こんなことはいくらでもある。

このあいだ、呆れたのは、評論家が某映画について、「みっつのエス(S)が重要です。それは、スピード、サスペンス、スリルです。」と、のうのうと言う。どうでもいい解説なんだけれど、脇で、頷く出演者、パネラー。あのね、スリルはティ(T)です。

ボクは外国語に堪能ではない。日本語すら満足に扱えない。そういう人間に外国語を伝える時はなるべく現地の発音に近い表記をしてほしいということだ。その理由は簡単。知識であるから。しかし間違った知識を入れられたのでは、知識ではなくなる。  しかし日本語の発音・抑揚も満足に表せないアナウンサーや大臣がいる国だから、(漢字が読めないのは悪いことではありません。)そういうことを言ってもしかたのないことかもしれないけれど。

そういえば、すこし前、民主党の前原サン、与党に向かって「レイムダックだ、あなたがたは。」と言っていましたね。ボクはあわててCPUのキーを叩いたのを思い出した。この言葉、国民の何パーセントが理解したんだろう。自分が無知なのがよくわかるとともに、物知り頭の議員が存在することを、思い知らされた。けれど、今、前原さんもレイムダックの一員のような気がしてね。

なんて、今夜もまた、グズグズ書いている。

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