富士霊園での読書
どうしたことか本日は富士霊園。すんごい久しぶり。隣から富士サーキットの爆音。お墓は静かなところがいいなあと思う反面、こうした場所も賑やかでいいなと思った。(モチロン景色・環境は抜群です)先日の雪がそこかしこに。花見のシーズンに再び訪れたく。完全に観光客と化したわけで。
最相葉月のエセイを読んでいたら、彼が宮古島の書店で見つけた絶版の「ミチコ・タナカ 男たちへの賛歌」(角田房子著)の書評に出遭った。~古びた文庫本は、ページを繰るなりわたしの手の中で絢爛豪華な交響曲を間で始めた。~で始まるこの書評のエセイは、昨今の出版物のデジタル化に伴う「本は、これから」という岩波の本に収められている。ミチコ・タナカと角田が、最相によって数行の中で非常に魅力的に描かれている。この本、読みたくなった。点と点を結ぶ書物。こうして結ばれる。~本は永遠の時を刻む。紙か電子かは門構えの違い。本との邂逅はその人の人生を一変させてしまうかもしれない。その快楽を人はそうやすやすと手放すはずがない~と。
ぼくらの手の中にある、手にできる情報としての「本」はこれからどういう道を辿っていくのだろう。電子の情報で育つ新しい人間は、なにを生みだしていくのだろう。中東の世界がこの情報機器によってドンデン返しだ。どうせ、本の未来など結論などわからないうちに寿命は尽きてしまうが、ボクは手の中であたかも著者が語りかけてくれるような本が好きだ。