where the wild things are
映画「かいじゅうたちのいるところ」を、この間見た。あの絵本から飛び出してきたような夢のような時間は、ぼくにとって、通り過ぎた時間を引き戻してくれたようなこころやさしいひとときでありまして。隣ではツルベとサユリンの「おとうと」なる邦画が上映されていて。これはいったいだれが見るんデショ、といった趣のある映画で。なんだか道徳の授業のようなタイトルや内容は、まず、若者にテンションを与えることはないだろうと判断した。 優れた商品でも、購買層がなければ、ただのゴミ。映画はね、娯楽なわけ、というのがぼくの考え。ドキュメントはともかく、恋愛映画でも、SFでも、アクションでも、楽しくなくちゃイケナイ。なんか諭されたり、余計な詮索されたり、揶揄されたりする羽目になる映画なんていうのは、イタダケナイわけで。お金と引き換えにいただくのは、ひと時の楽しさや、夢や、希望でありたいもので。 電気料金だけで、希望を見せていただいた、女性のフィギュアスケート。一億人が評論家になった夢の饗宴。アイスの上はまさにチンドン屋のカッコしたかいじゅうたちのいるところ。競技はすごく簡明だ。個人技だから、みんな、自分の責任。団体競技のイヤなところは、いろいろな責任が絡み合うことだ。競技そのものも、直線的ではなく、すべて繋がりあっているところがイヤだ。 メダルを取れなくて悔しい思いをした本人とそれに連なるひとびとがいるけれど、たいしたことじゃ、ないよ。応援したいという自然な気持ちを掘り起こしてくれたり、瞬間瞬間をドキドキハラハラさせてくれたり、なにより、夢や希望を見せてくれたじゃないか。4年後だってあるさ。素晴らしいたくさんの選手が世界にはいる。記録会や競技会はこうして続いていく。みんな「かいじゅう」だ。我が国の出場のないアイスホッケーはなんで中継してくれないのかなあ。