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2008年12月

2008年12月19日 (金)

手袋を買いに

はっぱのお札を持って手袋を買いにいった仔狐。むかしのおはなしを思い出したのは、二日前。また、手袋を失くしてしまった。必ず帰ってから気がつく。途中で気付かないものかなぁ。軍手と呼ばれるものは、しょっちゅうですが、失くしたのは、すこしお値段の高いもの。下ろしたてのそれ。ひと冬に2組くらい、または片方を失くします。理由は簡単。嵌めていたのを忘れるから。子供の頃毛糸の手袋を紐で結んで首にかけていたあれのマネしなくちゃいかんな、と、思った次第で。ブランド、新しい素材、いただきもの、みいんな、失くしちゃう。      と、そんな一日あり、の中で、不思議だったのは、再会ということ。    このあいだの長崎。岸田敏志さんのオシゴトで、行った長崎でしたが、そこで再会したのが、件のミスター立石。僕自身は引っ越しを何度もして、捨てたもの、失くしたものがたくさんあるわけですが、なぜか一枚残っていた彼からの引っ越し案内状。手帳やCPUにも入力してない住所と電話番号がそれには書かれていて、長崎を訪ねる1週間まえに、おそるおそるダイアルしたんだ。受話器のむこうから、懐かしい、というか、ほとんど初めてのような声。本人でありました。30年ぶりの声。早稲田に住んでいたころの先輩なのでありまして。長崎は市内はもちろん、壱岐や対馬などに何度も行きましたが、ハウステンボスは初めて。平戸に住む彼のところからなら近いだろうと思って。「遊びにこない?」と連絡。見事成就し、奥様と奥様の妹さまとの3人のご来場となりました。積もる話はなにもない。30年べつのことをしていただけだから。でも平戸焼の彼の店は平戸市内でちゃんと営業しておったわけで。その日の夕食は、あんな暮らし、こんな暮らし、の披露と、少しの回顧をゴチャ混ぜにして、滞りなく、「また」の約束に繋がりました。    岸田さんは備前焼きの陶芸家でもありまして、その話でも盛り上がりました。書家でもある、立石氏は、活字と見紛うほどの達筆を一筋の本に著わしていて、彼曰く、「これを新しいフォントの範疇で商品化したい」と申しておりました。漢和辞典一冊ぶんの大作です。(ひまなのかなあ?)「これがあれば、賞状でも手紙でもなんでも対応できるよ。」と。は、は~ん。どうですか?ソフト屋さん、興味ありませんか?僕が窓口になりますよ、なんてね。でも彼、ホンキ。興味あるかたはいちどわたくしに連絡ください。   で、はなしは戻って、手袋。だ・か・ら、今年の冬はなくさないようにと思っていた矢先の紛失。  あれあれ、おなじことの繰り返し。2,3日まえに向田邦子の「40になって、繰り返し失敗するのが治らない」の件りを読んだのが、自分にシフトするとは、当に、偶然。  なお、また、話は戻って長崎。茂木の銘菓「一口香」をすこしお土産に持って帰りました。受けた。うまい、まずい、よりも「受ける」のがイチバン。  さて、じゃ、手袋を買いに。

2008年12月12日 (金)

taylor

alex, kate,l ivingstone, james  これ、一家でみんなsinger. 最近の north Calolina の不思議なライブや、chapel hill のライブ。来年はツアー。ヨーロッパも出かけるらしい。このオジサンに魅せられて、35年。短いのか長いのか?オリジナルフライングマシーンのアルバムは、カセットに録音したものを除きどこかに散逸。ギターはダニ・クーチマーだった。アプルからでたアルバムはいまでもオタカラさ。禿げあがった頭も愛嬌。むかし忘れたころにセサミストリートに出演したこともあったね。中野サンプラザのコンサートはいまでも忘れられない。武道館のそれよりもよかった。2006年のクリスマスのCDきいて今日は過ごそう。

2008年12月 1日 (月)

0系

バルセロナからアリカンテに向かう7両編成の特急列車の真ん中にbuffetがあります。アルコホールはもちろん簡単な料理を含めて、退屈この上ない、景色の変わらない旅が百倍楽しくなります。天井は星空を模してあります。バレンシア行きはいつもこれ。車両そのものの造作は、住宅展示場レベル。可もなく不可もなく。     そしてL特急。水戸へ向かうひたち号(仙台)、仙台行やまびこ、新潟行とき、軽井沢行(長野)あさま(横川駅では必ず「峠の釜めし」をいただくのです)、松本行あずさ、青森行はくちょう、富山(こりゃ、鱒寿司ね。)、出雲。宮崎、西鹿児島、高知行。それぞれに素晴らしい車窓をいつも食堂車やbuffetが盛り上げてくれたのは、このあいだまでで、最近は食堂車の存在すらなく。   それで、こだま号。0系統の新幹線がお役ごめん。というニュース。小さな頃、三島駅はなく、熱海まで行ってから、こだまに乗り、浜松まで出かけたのが、初めて新幹線に乗った時でした。凧揚げを見に行ったんだ。そのときにビュッフェなる車両の存在を知りました。スピードメーターなんて意味ないものが付いているカウンターだけの食堂車両。窓は今の新幹線と違い座席2列分の幅の広い窓。なにを食べたか忘れましたが、旅にはこんな楽しい時間を過ごす場所があることを、その時感じ。で、このあいだまでは、狭い通路を残した食堂車や2階席が食堂車だった新幹線のことも思い出しました。   その新幹線では、大抵ハムサラダにビール、ときにウイスキイ。〆はカレーライス。自分の座席で弁当を食べてビールを飲むのは悪くありませんが、車両を変えていただくそれはまた、別の世界の食物でありました。    ときに世の中は、すべてのことについて、そんなにスピードアップが必要なのかどうなのか懐疑的であり、特に道路などは不信感を覚えることもあります。  しかし新幹線はなぜか別だったわけで。特に思い出の数など数えたこともなかったのですが、この車両は三島から東京へは必要条件でありました。そういえばああだった、こうだった、などと、記憶の糸を手繰れば、思い出だらけになるかもしれません。    新幹線のみならず「鉄道マニア」というのが存在する理由がとてもよくわかります。「歌」の世界でも同じで、あの時の歌、などというものが、ずっとその人のなかで醸成されることは、極めて普通の脳の活動であり、素敵なことだ、と思うのでありました。

この写真はまったく本文とは関係ございません。Rimg1251

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